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[3257] 小銃のメンテ (58 レス) 2001/08/23(Thu) 18:39:18 |
7色林檎模様の窓枠 さん |
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ども 以前旅行で国境越えたついでに実弾ぶっ放してみてガキのおもちゃと称される いわゆるサタデーナイトスペシャルでも人が死ぬ理由を実感してきた窓枠です。 ぃゃぃゃ冗談抜きで弾頭自分に向けた状態で予備の弾置いとけません(爆 で、ふと思った疑問なんですが拳銃もノンクリーニングで撃つとジャムるって 聞きますが(特にオート)陸軍が使ってるような小銃なんかはどうなんでしょうか? 長距離の野戦砲とかはともかく前線で撃ち合ってる歩兵はメンテなんてしてる暇 ないでしょうし、野戦ともなればヘタにばらしたらよけい中に埃が入りそうな気が するんですがあの手のってメンテフリーなんでしょうかねぇ? #仕事中にこんな事考えてる私はミリタリーマニアの世界に片足突っ込んでるって事になるんでしょうか?(爆死 1. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/23(Thu) 18:48:31
米軍は銃を使用しない時に筒先にコンドームかぶせて埃が入らないようにしてるとか聞きましたが本当なのかな?
ロシア軍の制式(今はどうかわからないけど)AK47は水面下でも数10mの射程があるらしいですが、川とかの水だったら泥とかも入りますよね?暴発とかしないんかな・・・? 結構こまめに掃除してますよ。ちょっと昔の歩兵の映画見てるとそんなシーンが多いです。日本の映画はだめだめだめですけど。
サブマシンガンが泥さえかぶらなければ大丈夫とか。ただ10m離れるとどこに飛ぶかわからんようですけど。 M16は神経質だったようです。( ̄∇ ̄;) フィールドストリッピングは野営中にやってた様な記憶が有ります。
交戦中にジャムったらその場で破棄してハンドガンに切り替え、一時的にせよ使えない武器は要りませんね、応戦せねば死んでしまう。 (破棄と言ってもカートリッジ抜いて放棄位しか出来ませんが) M16の初期モデルはクリーニング不足とボルト構造の問題からジャミングが頻発したそうです。海兵隊はメンテが簡単で作りも単純なM14の方を好んで使ったとか。
M16A1モデルはボルト構造を見なおしてジャミングの発生率を押さえていますね。 そおいやMk23ソーコムは「15000発発射可能」を目標にデザインされたそうですけど、これってマメにメンテしての数字なんですかね? >M16は神経質だったようです。
しかし5.56mm弾になった事で装備が軽量化されて兵の負担がかなり減り好評なようです・・・ただ、古強者には豆鉄砲では駄目だと不評買ったようですが、、 でもAK47と比べるとM16は無茶苦茶繊細らしい・・・ゲリラがAK47好むのは「安い」「簡単」「壊れにくい」が理由だと某国銃密造組織広報担当?がインタビューに答えてました。 >川とかの水だったら泥とかも入りますよね?暴発とかしないんかな・・・? 弾撃つ時のガス圧で吹っ飛ぶんで大丈夫なのかも >仕事中にこんな事考えてる私はミリタリーマニアの世界に片足突っ込んでるって事になるんでしょうか?(爆死
窓枠で銃を磨くハードボイルドな窓枠さん(こら 一言・・・か、かっこええ♪(待て 7. Mu 2001/08/23(Thu) 20:16:57
>窓枠で銃を磨くハードボイルドな窓枠さん(こら
>一言・・・か、かっこええ♪(待て 窓枠でビル越しに狙撃される窓枠さん(ぉぃ 一言・・・か、かっこええ♪(待て!しかも著作権違反。 三八式は防塵機能付きなんで、まったく問題ないです(ォィ
9. 深海怪魚 2001/08/23(Thu) 21:16:10
戦争のない平和な時代に来て欲しいですね。くだらない銃器なんかなくなることを祈ります。
10. Shao 2001/08/23(Thu) 21:25:04
何処の軍隊でも、大抵は教練中に「何分以内に分解・組立」が有りますし、実戦では何時間も打ち合う事は先ず無いとか。
で、休息中にでもパパッと分解・整備・組立を行うようで。 >泥とかも入りますよね? 銃身に入っても圧力で押し出されますので大丈夫です。多少なら土や小石を手で詰めても暴発せず弾を発射しますし。 他の部分も、多少の埃が入っても問題無い様にある程度の隙間は見てありますし、グリスを塗ってあったりもします。 >M16の軽量化 銃座の材質変更も有るらしいですが。強度と引き替えにとかで。 11. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/23(Thu) 21:57:37
三八式歩兵銃はパーツの統一化がなされてなくて別の銃からパーツを取ってきて付けることが出来なかったと祖父ちゃんに聞きましたが本当ですかね?
#整備をきちんとしてなかったら「捧げ銃」の姿勢で何時間も立たされたとか・・・ >三八式歩兵銃はパーツの統一化がなされてなくて別の銃からパーツを取ってきて付けることが出来なかった
事実らしいです。全体の設計図はあったそうですが、個々の部品の公図が存在しないため、部品の規格公差もない…。それでも製造した職人たちの名人芸できちんと作動する状態に調整されていたそうです。 それで戦場では故障が少なく信頼されていたそうですから、使う兵隊の方もいかに器用だったか伺えます。 銃に限らず、航空機でも部品の融通が利かない例が多々あったそうで、それでも稼働させていたのですから、戦前日本の工業というのは、とことん職人芸の工業だったんですねぇ。 フォレスト・ガンプでも、分解組み立てしてました。
ガンプは得意でしたよね。 日本の陸軍は、銃の先につけておく蓋?を紛失しただけで、大目玉だったという話を聞きました。 14. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/23(Thu) 22:53:33
>戦前日本の工業というのは、とことん職人芸の工業だったんですねぇ。
お金がないから手作業で済むところは職人の手作業で済ませてしまう、みたいなもんですかね。 余談ですが零戦は工場(名古屋)から各務原の飛行場まで牛車で運搬されていたそうです。大戦末期には馬(ペルシュロン種)が曳いていたとか。 あれだけの戦闘機を作りながら運搬手段がこれですか? >日本の陸軍は、銃の先につけておく蓋?を紛失しただけで、大目玉だったという話を聞きました。 陛下から賜ったものを無くすとは何事かッ!てなもんでしょうね。 兵隊より兵器の方が高かったからかどうかは知りませんが。 >AK-47
こいつ(亜種含む)が作られてから出て来なかった戦場はフォークランドだけだったらしい・・・・・ >あれだけの戦闘機を作りながら運搬手段がこれですか?
進駐してきた米兵が、 こんな国に勝つのに5年もかかったのか。 と、嘆いたそうです。 今も、ニホン(おっと)は職人芸を尊ぶ国かと思いますが、 大昔からの伝統ですね、これば。 >あれだけの戦闘機を作りながら運搬手段がこれですか?
>こんな国に勝つのに5年もかかったのか。 たはは、確かに。 ただ、これは別に、「輸送に使うトラックにも不自由していた」というわけではなかったはずです。 道路の状態がよくないため、牛車でゆっくり運んだ方が振動が少なく、故障が少なくて済む、という配慮があったからだったと思います。 穿った見方をすれば、いかに道路の整備がなっていなかったか伺えるというものですが。 工場と飛行場を直結する誘導路を建設するとか、そういう発想はなかったんでしょうねぇ…。 18. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/24(Fri) 00:19:50
>道路の状態がよくないため、牛車でゆっくり運んだ方が振動が少なく、
>故障が少なくて済む、という配慮があったからだったと思います。 確かそうでした。吉村昭氏の著作「零式戦闘機」にもそのような配慮から牛車による運搬を選択せざるを得なかったと書いてあります。 三菱の工場の横に飛行場を建設する手段を講じれば良かったんではないかと思いましたが。中島飛行機太田工場では確か生産された航空機は自力で飛んで輸送したと思うんですけど。 19. よねよね 2001/08/24(Fri) 01:12:42
>>日本の陸軍は、銃の先につけておく蓋?を紛失しただけで、大目玉だったという話を聞きました。
>陛下から賜ったものを無くすとは何事かッ!てなもんでしょうね。 前線では「たかが工場で数日でできるような銃のために、何十年もかけて立派な兵隊になったお前らが命を落とすことはない」と言われた、というような話しは聞きますね。 が、内地では「陛下より賜った菊の紋章入りの銃を壊してしまった」などで気に病んで、自ら命を断った人も多かったとか... >各務原
あれ、各務原って陸軍だったような気がするから違う飛行場だったと思うですけど…。 でも、どこだったか思い出せない。 >職人芸の工業 零戦とかもかなり大変だったらしいですね。 設計図どおり作ったつもりでも性能がバラバラだったとか。 今でも当たり外れがありますけど、当時外れを引くと飛んでる最中に落ちる。最悪飛べなかったとか。 確かに生産年数における生産機数みると日本機って多くないですよね。 21. sagiyama@RvII 2001/08/24(Fri) 02:39:27
>各務原
軍関係の場所だったのですか・・・。 隣に住んでたやつの前任地が各務原だったんですけど、この地名、会社の人ですらすら読める人が多いのでびっくりした経験がありました。 各務は宇宙皇子で…(^^;
23. 風 早彦 2001/08/24(Fri) 07:43:34
>各務原
海上自衛隊だっけ。いまでも自衛隊の飛行場があって、P3Cとかが配備されてますね。 航空博物館も各務原基地近辺にあったはずです 24. SY 2001/08/24(Fri) 08:08:34
>>各務原
>あれ、各務原って陸軍だったような気がするから違う飛行場だったと >思うですけど…。 少なくとも十二試艦戦は陸軍の各務ヶ原飛行場で良いはずです。 (ところで、岐阜の小牧?(エアバスがお知りから落ちた所?)と違う場所なんですか?) 25. SY 2001/08/24(Fri) 08:18:53
自殺の話はあったようで、その後夜な夜な紛失した部品を求め現れる
という話も(^^;) あと、ジェットエンジンの方ですが、あれの場合、ジェット噴流で 押してるのは、機体ではなく後方の空気だったと思うんですが? 27. BVV5 2001/08/24(Fri) 10:58:10
>ジェットエンジン
軍用機のエンジンと民間機のエンジンは似て非なるものです。 民間機は大量の空気を吸い込んで圧縮して押し出しています。 そのターボファンをまわすのに真ん中で細々とジェットエンジンが回ってます。 28. 過激な深海怪魚 2001/08/24(Fri) 11:26:23
>軍用機と民間機のジェットエンジン...
うーん、ターボファンとターボジェットの違いで軍用、民間は関係ないです... 平和利用機でもコンコルドはターボジェットで大型扇風機はありませんし、殺人用でも、A10なんかはターボファンエンジンで扇風機つきですし。 実は飛行速度によってファンとジェットの効率が変わるためにファンは高速機では使われないのです。 殺人用、平和利用は関係ありません。 よろしいですか? >>日本の陸軍は、銃の先につけておく蓋?を紛失しただけで、大目玉だったという話を聞きました。
「銃口蓋」というパーツですね。老師曰く、「銃口蓋をなくした奴が、わしの銃から銃口蓋を盗んだので、わしが往復ビンタを食らった」と、戦後半世紀以上経っても腹立たしそうに言うのを思い出しました。 >陛下から賜ったものを無くすとは何事かッ!てなもんでしょうね いや、そうじゃなくて「銃口蓋」には菊の御紋が入っていたから、大切なパーツだったそうです。 30. 7色林檎模様の窓枠 2001/08/24(Fri) 12:52:36
ふむむむ
予想はしてましたがえらく盛大にレスが付いてますねぃ(ぉぃ 要するに戦闘が一段落したところでちまちまとメンテしてるって事なんですね。 手先が不器用だと兵隊にゃなれませんねこりゃ(爆) #ぃゃ好んでなる気はないデスヨ。痛いのヤですし(ぉぃ 旧日本軍の武器兵器は何かのマンガで「工場に連れてこられた娘や主婦が作ってるんだ。 仕様通りの精度なんて出る訳無いさ」とかなんとか言ってたのが非常に印象的でした。 >銃口蓋 部品云々じゃなくて菊の御紋が重要なんですねぃ。 んな無くしやすいとこに御紋入れた設計者or発案者はさぞ恨まれてることでしょう(ぉ 31. 7色林檎模様の窓枠 2001/08/24(Fri) 14:06:41
って
>窓枠で銃を磨くハードボイルドな窓枠さん(こら サッシ(しかもアルミ)で銃を磨くデスカ(違 ってーかビル越しに狙撃できるのはゴルゴなおっちゃんくらいですけど。 (実際そう言うエピソードありますが) 32. BVV5 2001/08/24(Fri) 17:16:45
成田で見ているジャンボと百里でみることのできる丸腰ファントムの話。
だれもが、JFKでコンコルドを直接見ることができるわけでなし。 >戦前日本の工業というのは、とことん職人芸の工業だったんですねぇ。
その、大切な職人さんまで徴兵してしまったのだから、日本軍の司令部のあほさ加減がわかります。 突然つれてこられた、女子学生が真似できませんって。 >十二試艦戦は陸軍の各務ヶ原飛行場で良いはずです。 堀越さんの本では、十二試は各務ヶ原飛行場(岐阜県ですよ!)まで運んだようです。 戦時中は、鈴鹿飛行場(今の鈴鹿サーキット、三重県)までも運んだのじゃなかったかな? 時速2kmの牛車で! これは、日本軍うんぬんよりは、M社の首脳があほなのじゃないかな? だから、ライセンス生産のN社の方が多くの零戦を生産したとか。 しかし、何故、もっと工場の近くに飛行場を作るとか、あるいは飛行場の隣に工場を引っ越すとか、考えられなかったのですかね? 零戦なら、空母上からなら数十メートルもあれば上がりますし、地上の無風でも、百メートルちょいあれば上がるのだから、完成機が基地へ飛ぶ為程度の滑走路を作れば良かったのに? 余談ですが、零戦のみならず、一式陸攻あたりの大型機ですら、分解して牛車で運んだそうですから。 この前、その一式陸攻の胴体後部を見てきたのですが、水平、垂直尾翼とも、結構簡単に分解して外せる構造になってました。 実は、ひそかに、さすがは三菱製と思ってしまった。 34. たまちゃん 2001/08/24(Fri) 21:45:24
> >泥とかも入りますよね?
> 銃身に入っても圧力で押し出されますので大丈夫です。 > 多少なら土や小石を手で詰めても暴発せず弾を発射しますし。 銃を突きつけられたら指を(枝だったか?)を突っ込めば暴発するから 助かるとかTVで見たような気がしますが、ダメですか?(汗) >M社
全然違う企業名が頭をよぎりました(^^; >一式陸攻あたりの大型機ですら、分解して牛車で運んだそうですから へーこれは初耳でした。同じところだからありえるでしょうけど... >完成機が基地へ飛ぶ為程度の滑走路を作れば 言ってしまうとこれが結構問題だったのかもしれません。 先の話でも出ましたが、製品自体にバラツキがあるが故に迂闊に飛ばせなかったかもしれません。 確かに性能どおりの零戦なら百メートル少しで離陸できるでしょうけど、性能どおりに製造されるかが実に問題だったわけで(^^; あと、完成機を基地へ運ぶパイロットがいなかったのかも。 この辺の事情はよくは知らないのですが、飛行機飛ばせたら軍人でしょうし、完成しても軍に渡すまでメーカーが責任をもって管理、運搬してるでしょうし、案外飛ばせる人間がいなかっただけなのかもしれません。 >銃を突きつけられたら指を(枝だったか?)を突っ込めば暴発するから
迷信です、燃焼後のガス圧で指がすっぽ抜けるだけ、ガスの速度は音速程度と聞き覚えてます。 まあ、榴弾使用なら道ずれに出来ますが。 ***引用忘れたので追加 22:45*** >牛車うんぬん
これは当時の日本の航空機メーカー全般に言われた事で、何も三菱に限った事ではないそうです。 高嬢に滑走路が隣接しているのは、どちらかと言うと珍しいパターンだったそうです。 (12試艦戦完成時だと、川崎の岐阜工場と立川の立川工場の2箇所だけだったとか) 流石に後に整備されて行ったそうですが、それでも全国で12箇所ほどだったらしいです。 牛車を使った理由はどなたかも仰ってたように振動などが少ない為。 >だから、ライセンス生産のN社の方が多くの零戦を生産したとか。 これは単純に他社にライセンス生産を行わせる場合として、改良や設計変更などを三菱が行う事とした為役割分担が決まってしまったためでは? それともこれは表向きの理由なのかな?(^^; >ジェットエンジン 今時のは燃費や騒音の問題でみんなターボファンだと思いましたが・・・。 F/A-18とかのエンジンもバイパス比が小さいだけでターボファンだったりしますし。 運搬や生産管理の問題の他にも、陸軍と海軍で似たような性格の飛行機(零戦と隼、雷電と鍾馗、etc)を別個に開発したり、しかも艤装もパイロットの訓練も全く別物で互いの融通が利かなかったり…、と、「総力戦」の意識が全くなかったんですよねぇ。
まぁ、この辺の縄張り意識、既得権益意識なんかは、今の霞ヶ関と族議員たちが立派に受け継いで(嘆) >今時のは燃費や騒音の問題でみんなターボファンだと思いましたが・・・。 たしかそうですよね。F-15やF-16のエンジンもターボファンだったはずです。自衛隊のT-2/F-1もターボファンエンジンだったし…。 単に高速でぶっ飛べばいい時代は30年も前に過ぎてしまっているわけです。 ジェット戦闘機って、空気取り入れ口の前方にいるとものすごい騒音なのですが、排気口側にいると意外な程静かです(航空祭で見たF-16とT-2の感想)。 空気取り込み/圧縮がそれだけ膨大ということでしょうか。 >銃を突きつけられたら指を突っ込めば… ダブルアクション型のリボルバー拳銃なら、シリンダを抑えて回転させなければ撃発ハンマーが動作しない、とかなんとか聞いたような…って、オートマチックならどうしようもないっすね。 39. たまちゃん 2001/08/25(Sat) 02:21:45
> 迷信です、燃焼後のガス圧で指がすっぽ抜けるだけ、ガスの速度は音速程度と聞き覚えてます。
> ダブルアクション型のリボルバー拳銃なら、シリンダを抑えて回転させなければ撃発ハンマーが > 動作しない、とかなんとか聞いたような…って、オートマチックならどうしようもないっすね。 なるほど!突きつけられる拳銃は選ぼうって事ですね・・・(違) 40. Epion【Selena】 2001/08/25(Sat) 02:27:11
>オートマチックならどうしようもないっすね。
オートマチック系でもハンマーと銃身のの隙間に指つっこめば発射しませんね. あとは引き金の後ろに指を入れると発射動作ができません(笑) #挟まれると痛いけど(^^;) >オートマチックならどうしようもないっすね。
オートマチックもスライド部分を後方へ押し下げてやれば、引金を引いても激鉄が雷芯に当たらなくなるので発射できません。 ダブルアクションのリボルバーもシングルアクションでの発射は可能ですから、既に激鉄が下げられていればシリンダーを抑えても発射は出来ます。 まあ拳銃なんて10m離れたら当たらないそうなので逃げるが勝ちですかねぇ? (銃の精度にも差はありますが犯罪者が使うような銃は精度の低いものが多いと思うので) >完成機を基地へ運ぶパイロットがいなかったのかも。
中島の工場や、紫電改を作っていた川西へは、海軍のパイロットが受け取りに行ったそうです。 工場で受け取って、飛んで基地へ帰ったようです。 >製品自体にバラツキがあるが故に迂闊に飛ばせなかったかもしれません。 後期の中島製の零戦は、実際そうだったらしいです。 殺人機と呼ばれていたらしい。 完成してても、まともに飛べないものばかりで、ちゃんと飛ぶのをパイロットが選んでから、受け取ったそうです。 (岩本徹三 零戦撃墜王より) M社(MicroSoftではありません)も近くにちょっとた飛行場があれば、良かったのに。 余談ですが、工場まで飛行機を受け取りに行くのは、パイロットにとって楽しい仕事だったらしいです。 工場側の待遇がとっても良いし。 あと、動員された女子学生が沢山いたので。 43. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/25(Sat) 07:45:27
>「総力戦」の意識が全くなかったんですよねぇ。
同感。 陸軍航空隊は天測航法ではなく地文航法一本槍だったせいで海の上を飛べなかったそうで、島嶼戦がメインだった太平洋正面でほとんど役に立たず大陸方面のみで使用されたとか。海軍航空隊とは存在意義が全く違う「地上部隊の直協任務」が主だから仕方ないですが。 ソロモン方面で大消耗した海軍と同じだけの予算を「面子」だけのために要求していたそうです。彼らは「国家の存亡」よりも面子の方が優先した訳ですね。こんなんじゃ勝てるもんも勝てませんな。 >後期の中島製の零戦は、実際そうだったらしいです。殺人機と呼ばれていたらしい。 熟練工を陸軍が無思慮無分別に徴兵しまくり、その後釜に女子学生を据えてりゃ当然そうなりますよね。機械の操作を女子学生がやり、短期間教育すれば戦力となり得る工業系学校の学生が庭で草むしりをしてたそうです。こんな配置をしといて総力戦を叫ぶなんておこがましい限りでしょうね。 中島の太田工場(現 富士重工工場)はまだ飛行場が有る筈です、時々セスナが飛んでました。
(例の墜落事故直前を自宅の窓から対向で真っ正面から見てました) 45. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/25(Sat) 07:51:34
>中島の太田工場(現 富士重工工場)
この前富士重工の沿革を見せて貰いましたところ、戦前の中島飛行機時代の写真がありました。「疾風」ですが。 #ところで今の新明和工業って川西飛行機が前身なのかな・・・? #飛行艇作りが得意らしいし >新明和工業って川西飛行機が前身
そうです、川西です。戦後も自衛隊機を作ったりしてます。 2式大艇とかの技術がかなり応用されたらしいですね >同じだけの予算を「面子」だけのために要求していたそうです 海軍に対抗して要求してたみたいですが、首相が陸軍からだから取りやすいのも一因なんでしょうね。 三菱ですが牛車はともかく、確か鈴鹿工場は飛行場の近くだったと思います。 飛行場の近くって工場が作れない理由があったのか、逆に工場の周りに作れない理由があったのかもしれないですね。 そういえば、軍の飛行場と飛行機工場が並んでたら攻撃する側はすごく楽だったりして(^^; 47. sagiyama@RvII 2001/08/25(Sat) 20:18:09
>新明和工業って川西飛行機が前身
川崎の鶴見の二国(国道一号線)に工場がありますね。トラックを冷凍車にしたり、リフトをつけたりというのをやってたかな。 48. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/25(Sat) 21:49:59
>2式大艇とかの技術がかなり応用されたらしいですね
今でも二式大艇の機体寸法を超える飛行艇は無いとか聞きましたが本当かな?それと随分前にアキバの交通博物館に二式大艇の実機が陳列してあるって聞いたんですが私が行った時(今年のGW)には有りませんでしたが撤去されたんですかね。まぁハ−45見られたんで良しとしますが。 >鈴鹿工場は飛行場の近くだったと思います。 鈴鹿空だったかどうか忘れましたが海軍航空隊が常駐してたと思います。無かったのは名古屋工場(海沿いにあったと聞いた)じゃないですか? 余談ですが従姉妹の旦那が確か新明和に勤めてるとか言ってましたが、西宮だと思うけどR43沿いに工場有りませんでしたっけ?うろ覚えで自信ないんですけど。 49. よねよね 2001/08/25(Sat) 22:54:25
二式大艇は船の科学館にありますね。こちらも実機のハズ。
新明和工業はその流れで PS-1や US-1Aを作っていますね。海難救助は、今では SH-60Jあたりに譲られちゃってるのかな? >今でも二式大艇の機体寸法を超える飛行艇は無いとか
ないでしょうねえ。飛行艇そのものに、あまり高性能を求める必要がなくなってしまいましたから…。 まぁ寸度だけだと、二式大艇の前の九七式大艇の方が幅が大きいです。 あと、かなり昔に外国で試作された水上旅客機が、とんでもないサイズだったようですが、詳しいことはわかりません。 二式大艇の場合、開発段階で、長距離を進出して敵艦隊への雷撃ミッションも想定されていたため、速度や低空での運動性、積載量などの要求が結構厳しかったようです。 それにしても、B-17より二周りも大きい高性能飛行艇を実用化しておきながら、まともな四発重爆ができたのは大戦末期の「連山」だけというのは実に不思議です。 >海難救助は、今では SH-60Jあたりに譲られちゃってるのかな いやいや、航続距離と速度の面で、まだまだ飛行艇とヘリとは比較になりません。 US-1AだとUH-60Jの3倍もの遠距離の救難が可能ですから、広大な領海を抱える我が国にとっては救難に不可欠の機体です。 確か、現行US-1Aの改良型の開発計画が、最近になってから持ち上がっているはずです。 >あと、かなり昔に外国で試作された水上旅客機が、とんでもないサイズだったようですが
ヒューズ HK-1が全長67m私が知っているのはこれが最大です、エンジン8に全幅は98m 記憶が曖昧です ^^; 52. よねよね 2001/08/25(Sat) 23:47:58
>いやいや、航続距離と速度の面で、まだまだ飛行艇とヘリとは比較になりません。
あ、やっぱりそうですよねぇ。 US-1Aが引退みたいな話しを聞いていたので、後任はヘリが担当するのかな?と思いましたが、後継機の計画があったのですね。 53. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/25(Sat) 23:53:35
>二式大艇は船の科学館にありますね。こちらも実機のハズ。
・・・全然違ってましたのね(T-T)係員に問い合わさなくて良かった。 ところで船の科学館ってどこにあるんですか?←逝ってみたいらしい >まともな四発重爆ができたのは大戦末期の「連山」だけというのは実に不思議です。 労力をあまり割いてなかったのでは?その前の「深山」で懲りたとか。 まぁ深山はダグラスの失敗作を姑息な手段で入手してコピーしただけだから仕方ないか。 「連山」は重爆と言うよりも「大攻」と言った方がしっくり来るような。しかし世界中探しても四発重爆に雷撃能力を付与させるため低空域での良好な運動性能を求めたのは日本だけでしょうね・・・ 54. SY 2001/08/26(Sun) 00:20:08
>船の科学館ってどこにあるんですか
御台場〜(ゆりかもめ?でいけます) >ヒューズ HK-1が全長67m
それかも知れません。やたらとエンジンが多く、複葉か三葉だったような記憶があります。 で、世界一周クルージング(?)に出かけたが、途中に寄港した所で火事を起こし、あえなく焼失した…だったような。 >その前の「深山」で懲りたとか。 あり得ますねぇ。 でも深山って、カタログデータ上は「使えない」ほど悪い性能ではないんですよね。ゲーム「空軍大戦略」だとそこそこ活躍してくれます。 鈍重で雷撃が全く出来なかったらしいですが、攻撃機としてはともかく爆撃専門でなら「使えないことはない」程度にはなったような。…って、時節柄、そんな中途半端な機を量産する余裕は無いかな。 逆に連山が出来た頃には、VT信管の実用化で肉迫雷撃自体が難しかったというのも皮肉です。 日本軍にも戦略爆撃という考えが無かったわけではないらしいのですが、日中戦争時の重慶爆撃で国際的に非難を浴びて以来、トラウマになっていたようです。 56. SY 2001/08/26(Sun) 01:05:50
>銃口蓋
これをつけていると夜間等に射撃の為はずしたときに腔内で結露したりしてかえって寿命を縮めるそうです。 そのような物が何故採用されたかというと銃弾が発射される際、ライフルデカ移転させるために尻振り状態になって(銃口をでた後では安定)一定のところに傷を作るのが銃身膨張と誤解されたため、その原因として銃身の腔内への黄土等の埃の迷入が疑われた為だそうです。 64式では銃口蓋に気流を通すために穴をあけてあるそうです。 コンドームをかぶせる話は聞いたことが有ります。 (旧軍で突撃サックをつけてひどい目に遭った人の話が何かに出てた様な?) >「連山」
結局、その連山も米軍にはB17のコピーだと思われてしまったらしいです。 性能的にはずいぶん違う気もするですが… >お台場の2式大艇 ゆりかもめからばっちり見えます。 近くからみたことないのでなんとも言えないのですが、 B777とか見慣れてる目だとやはり小さいですね。 比べること自体がナンセンスだとはわかるですが… >新明和工業 そういや伊丹だったかのボーディングブリッジは新明和製だった気がしました。 さすが航空機屋さんと感心してしまいました。 58. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/26(Sun) 04:02:21
>連山が出来た頃には、VT信管の実用化で肉迫雷撃自体が難しかったというのも皮肉です。
もうその頃には4発大攻を手足のように扱える熟練搭乗員が残ってなかったからどっちにしても日の目は見なかったかも<連山 >性能的にはずいぶん違う気もするですが… 全然違いますよね。あれは戦略爆撃機でなく「4発陸上攻撃機」なんだから。背景の思想が全く違う・・・ >日本軍にも戦略爆撃という考えが無かったわけではないらしいのですが、日中戦争時の重慶爆撃で >国際的に非難を浴びて以来、トラウマになっていたようです。 その非難浴びせた方がドイツや日本本土を焼き払ったんですからお話になりませんね。 彼らが非難した「重慶爆撃」を数百倍に拡大して。 >連山も米軍にはB17のコピーだと思われてしまったらしいです。
尾部銃座の形状が、B-17のそれを参考にしていたそうです。 といっても連山で初めて採用したわけではなく、一式陸攻三四型で採用してみたら、「非常に使いやすい」と評判がよかったらしいです。 その情報を「B-17全体を参考にした」とアメリカが勘違いしたみたいです。 >その非難浴びせた方がドイツや日本本土を焼き払ったんですからお話になりませんね。 しかも実によく研究しています。 米軍の焼夷弾は、弾子が瓦屋根を貫通して畳の上で停止するくらいの威力になるように調節されていたそうです。瓦の上だと延焼しにくく消火もしやすいし、逆に畳を貫通して床下にめり込んじゃうとこれも延焼しない。畳の上だと空気もよく供給され延焼しやすいという訳です。 また、先に風下に火災地帯を作って退路を断ち、次に風上から順に焼き払って効率よく市民を焼き殺すなど、爆撃方法も巧妙です。 胸くその悪くなるような話です。 60. スーパーブラックバード@GA6OXM7E 2001/08/26(Sun) 09:50:28
>実によく研究しています。
米軍には戦略爆撃に執念をかけた人物カーティス・ルメイが全面的に作戦指導を行っていたそうです。 ドゥーエの提唱した「10・10ボマー」の理論を究極の形で実現した訳ですね。多分この人が研究したんでしょう。 |