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[2679] 邪馬台国特集@知ってるつもり?! (15 レス) 2001/07/01(Sun) 21:57:57 |
Epion【Selena】 さん |
Web: http://www.pluto.dti.ne.jp/~epion/swe/ | |
21世紀になっても解決しない歴史論争の一つ・・・と言ってもこちらはロマンの香りのする論争の方ですが. 今日テレの「知ってるつもり?!」でやってます. 実は最近すごく興味のある謎の一つなんですよ.>自分 畿内説と九州説・・・なんで決着がつかないのか分かった気がします. どちらにもお互いを補強するに足りる発見が多すぎて可能性をつぶせないんですねこれ(^^;) 中でも古文書に書かれている地名が,九州と畿内で似た語感で分布まで一致してしまうと言う話には驚きました. 例:すみよし・みかさやま・くるめ(くめ)・・・などなど #さっき出てきた例ではもう3〜4箇所ありましたが覚えきれませんでした(苦笑 なんでこれに興味を持ってるかというと,某所では何人かにお話したんですけど日食とのからみなんですね. 実は卑弥呼がいた頃に日本近辺で二度ほど立て続けに皆既日食が起こってるんですが,これが九州の方がよりインパクトの強くかつ二度とも「見えた」日食になるんです. で,この事実を九州に伝わる天岩戸伝説とからめて,この伝説のストーリーを 【卑弥呼の死→男の王の君臨→世情の不安定→新しい女王の君臨→世情の安定】 と言う一連の歴史的な流れとつなげる事が出来た場合,九州説が非常に有力になる・・・と言うのを知った直後,奈良の遺跡から邪馬台国の畿内説を補強する強力な発見のニュースが・・・てな具合です. 実際の所は同なのか分かりませんが,天文屋的には九州説かなぁ? と漠然と考えています. 個人的に九州の遺跡群にはゆかりも深いし(笑) 1. Epion【Selena】 2001/07/01(Sun) 22:00:34
今はこの論争の発端になった本を書かれた人の人物伝に話題が移っています.
夫婦手を取り合って挑んだ歴史のロマンか・・・なんか良いですね. 移り気な私は、関西に住んでいた頃は邪馬台国は畿内に違いないと思い、九州に住んでいる現在は九州に違いないと思ってます。
数週間前にNHKスペシャルでも邪馬台国な番組をやってました。
もしかして邪馬台国が流行する時期?? 4. i96968 2001/07/01(Sun) 22:28:06
畿内説VS九州説、昔は東大閥VS京大閥の戦いだったりしました。
基本的には大和朝廷=邪馬「壱」国後継政権(畿内説)とみるか、神武東征に反映されるように、邪馬「壱」国近畿東征政権=大和朝廷(九州説)とみるかの相違であったりもします。 しかし資料が少なすぎますね。みんな自分の説に有利な点のみ強調して、その他は軽く見る、という姿勢が強すぎます。それに、一番の基になっている「三国志魏書東夷伝倭人条」の記述が少なすぎるのと、矛盾がありすぎるのを何とかしない限りは、結論は難しそうです。 5. Epion【Selena】 2001/07/01(Sun) 22:32:23
そう言えば地名の不思議な一致はイギリスの地名いくつかがアメリカにそのまま移ったように,邪馬台国そのものが九州→畿内へ移動したと言う説明もできるそうですね.
北部九州に住んでいます。
私の兄は、北九○市の教育委員会で、考古学の仕事をしているんですが、以前、聞いた話では、学会では、近畿説で決まりとの事でした。 九州人としては、邪馬台国は、九州に有って欲しかったので、残念な思いが有りましたが。 もっとも、兄貴は、関西大○出身なんで。。。 中学校の頃だったかな? 歴史の授業で
「私は、”卑弥呼”の読みは、聞き間違いから生まれたと思ってる。普通、自国の長に”卑しい”なんて字は付けない。おそらく”姫巫女”が変化したのだろう」 と聞いたのを、良く覚えています。確証ある説ではありませんでしたが、妙に納得できたので…。 #やっぱり、みんな伊与には萌えてたのかなぁ?(死 8. Epion【Selena】 2001/07/01(Sun) 23:32:50
>#やっぱり、みんな伊与には萌えてたのかなぁ?(死
なんせ卑弥呼の死後荒れてた国がパタッと静かになったと言うくらいですからねぇ(笑) 先々週の「その時歴史が〜」でもやってましたね。
その中では断言はしませんでしたが九州説を押してるように見えました。 畿内には邪馬壱国に匹敵する交易都市があったような感じで説明していましたね。 やはり邪馬壱国→大和朝廷のミッシングリングを解くことが不可欠なんでしょうが状況証拠的な遺跡しか見つかっていませんからね・・・。 個人的には邪馬壱国=大和朝廷の図式に囚われなければ「その時歴史が〜」の内容にも概ね合致しますし何よりヤマトタケルのくまそ征伐の話に信憑性が出てくるかと。 10. SY 2001/07/02(Mon) 00:04:23
>くまそ
「契丹古伝」だったかな?これによれば菌など(当て字無くこう書いてあるそうです誤解無きよう)3氏族からなる民族が河南あたりから琉球を通り九州をぬけて某半島に至ったらしい?ってことで異民族なのかもま、偽書ということになっているので。 史記?とかですと雑伝?みたいなことは結構いい加減らしいですのでとらわれる必要は無いのかも(後世では信長と秀吉の出会いもすごいらしいので) あ、よく読むと何故いきなりくまそが出てきたか書いてないですね。
私は奈良県民にも関わらず(笑)邪馬壱国九州説を支持してるんです。 また、私は邪馬壱国=大和朝廷ではなく大和朝廷は大陸からきた騎馬民族の侵略者だという説を支持しています。 で、くまそ=邪馬壱国ではないかと考えてみたのです。 つまりヤマトタケル伝説のくまそ征伐の話は大和朝廷が九州の邪馬壱国に攻め入った事を物語っているのではないかと想像したわけです。 ちなみにこの説、私が勝手に考えているだけなので根拠は全くありません。(笑) ※一部修正しました。 12. Epion【Selena】 2001/07/02(Mon) 00:56:56
>私が勝手に考えているだけなので
そう言う風ないわゆる"素人推理"が意外と的を得ていることもありますからねぇ,歴史って面白いです. 高校時代の社会の先生も同じようなことを言ってましたね。考古学はアマチュアを侮ってはいけないと。
もっとも「神の手」の御仁は願い下げですが・・・。 14. i96968 2001/07/02(Mon) 09:42:49
>普通、自国の長に”卑しい”なんて字は付けない。
いにゃ〜、これ違うのですね〜。邪馬「壱」国と卑弥呼の元になってるのは「三国志魏書東夷伝倭人条」で、これ、中国の史書です。で、当時の中国は(今でもか?)外国を夷的と見なして、自国よりも卑しいもの(だから自国は「中華」)として、わざと卑しめる字を宛てています。従って「邪馬壹国」も「邪」とか「馬」という、卑しめる字を用いています。私が邪馬「壱」国と書いているのは、通常「邪馬台国」と呼ばれる国名の「台」の字は貴字に相当するので、「邪」「馬」という卑字と同時に使うはずはなく、従ってこれは壱の字の旧字体「壹」の写し間違いであり、「邪馬臺国」=「邪馬台国」ではなく、「邪馬壹国」=「邪馬壱国」であるとの説に基づいています。(実際古い写本では邪馬壹国と書いてあるらしい。見たことはないので分かりませんが。) 従って、「卑弥呼」は「姫巫女」(or「姫皇子」?)に卑字を宛てたものと解釈されます。従って、中国的には「卑弥呼」でいいのですよん(多分)/(^_^;;;; ちなみにもし「邪馬台国」が正しかったら「壱与」(伊与じゃないんです。)は「台与」(とよ)になっちゃいます。
「邪馬台国」という名前が広まった理由に「邪馬台」が「ヤマト」、すなわち「大和」につながるから、というものもあります。 これが「邪馬台国」=「大和朝廷」の根拠の一つになってるからだそうなんですが「邪馬壱国」だとこの説が崩れてしまうので・・・。 #うーん、旧字体が出ない。(汗) |